幻の憲法

上杉神社参拝記

現れ出でた富士山
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上杉神社参拝記
平成19年12月27日
 本里福治記

さあ、困った  

さて、どう書き出そうか迷っている。

というのは、行く前から、帰ったら参拝記を書こうと思っていた。
そしてその書き出しは『株式会社ナセバナルを名乗る私としては、なんとしても行きたいところがあった。それは上杉鷹山を祭る、米沢の上杉神社である。』としようと決めていたのである。

ところが、行ってみてわかったのは、上杉神社は上杉謙信を祭神としており、鷹山を祭っているのは、その隣の松岬神社であることがわかった。なんともお粗末なことである。

吉田兼好のエッセイ集「徒然草」でも似たような話が載っている。

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仁和寺のある僧侶が石清水八幡宮に参詣することを思い立った。僧は麓の高良神社や極楽寺のあるところまで来ると、ここが石清水八幡宮の社殿だと思いこみ、山上にある本宮には登らずにふもとの建物だけを参拝して帰ってしまったのだそうだ。

吉田兼好はこのエピソードを取り上げて「先達はあらまほしきことなり」と結んでいる。つまりちょっとしたことでも案内人や下調べは大事だよということだ。
私が大間違いをしないですんだのは、この旅先で先達に会えたためであり、先達に会えたのは神仏の加護である。

『なんとオーバーな・・・』と、笑わないでほしい。
そうだ、話は途中からになるが、そのくだりから入ることにしよう。

出会い  

上杉神社を参拝し、『大目的は済んだ。後は食事が終わってからゆっくりと・・・』と思って、隣のレストランに入った。レストランとはいっても上杉家の末裔が明治維新後伯爵に列せられて住んでいた住居だ。『たのもーう』いって入りたくなるような豪邸である。
建物それ自体が文化財とも見まがう。
鷹山の一汁一菜の生活に恥じつつも、ずらりと並んだ小鉢のご馳走を堪能した。

客室といっても立派な床の間のある大座敷、当然禁煙だ。食事が終わって、玄関の土間の喫煙所で一服つけた。

そこへ、10人ほどのグループが入ってきた。黒いスーツに黒ネクタイ、葬式のあとのお伽のようだ。その中の一人の年配者は、客室に上がる前にタバコに火をつけた。

私は『最近はタバコ吸いは不便ですね』と声をかけた。
『そうですね。この寒いのに外じゃ吸えないし・・・。わはははは、肩身が狭いですわ』そんなことから話が弾んで『東京からでもおいでですか』
『いや、新潟からです』
『おお新潟、わしも新潟に親戚があって・・・、押切ってとこです』
『ああわかりますよ。私も同じ新潟市内ですが、反対側です』
『そうですか。弥彦神社が近いんでね、お参りに行きましたら上杉神社とおんなじつくりなんですよ。聞いてみたら、作った人が同じなんですね。伊藤何とかいいましたなぁ』

仏登場  

気さくな話好きのじいちゃんと、話が弾んでいるところに、座敷から2人出てきた。40代だろうか。
『こちら、新潟から来られたんだってよ』
『ホー、遠くから・・・。ありがとうございます』

ありがとうございますっていわれたって、こちらが『参拝させていただいてありがとうございます』なのにこの人にお礼を言われるのは逆だよと思ったが、好感を持った。
お礼を言うということは、それだけ上杉神社を愛し、自分と米沢、自分と上杉神社を一体化しているということだ。ふるさとに誇りと愛着を持っている人は、私はそれだけで立派な人だと思う。

案の定、彼は謙信を語り、鷹山を語り、米沢で出生した正宗を語った。
『伊達政宗は、中国から本物の坊主を呼んだんですよ。だから京都の坊主は大挙して仙台にやってきた。国際感覚があったんですね。信玄なんて山猿ですよ。謙信公だって貿易に力を入れましたよ』

話は長岡藩の河合継之助から、謙信対信長の魚津城の攻防戦にまで及んだ。単なる話好きではなく、よく勉強もしていて本当に博学だ。上杉神社は上杉謙信を祭っており、鷹山を祭っているのは、松岬神社であることを教えてくれたのも彼だ。
今回の旅でこの人に会わなかったら、単なる神社詣でで終わったろう。

株式会社ナセバナルと入った名刺を出した。
裏には鷹山公の『なせばなる・・・』の全文が入っている。
それを見た彼は『べたべたですなぁ。わはははは』と、大喜び。

仏様に引き合わせてくれた仏様  

『すみません。今日は葬式なもので名刺を持っていなくて』彼はわびながら名を名乗った。
『どなたがなくなられたかわかりませんが、今日お会いできたのは、その方のお導きでしょう』私は本心を言った。
『私の祖母です』もう一人の人が言った。
『それはそれは・・、ご愁傷様です』
『いや、99歳でしたから・・・』
『それなら大往生ですね。そういっては失礼だが、おめでたいといってもいい』
『そのとおりです。クリスマスイブに死んだんですよ。あのばあちゃんらしい。でも来月まで生きてれば百歳だったのに・・・』
『そうですか。でも99歳のうちに死ぬのも意味のあることです。美空ひばりだったかなあ。デビュー何周年かの記念レコードを出したんですが、それが99曲でした。
彼女が言ったのは、「100曲なら切りがよいが、それではこれで終わりになってしまう。ずっと歌い続けるという意味をこめて、切りの悪い99曲にしました」ってね。
おばあちゃんもきっと、魂はずっと行き続けるという意味をこめて、100歳になる直前に死んだんじゃないでしょうか』

彼らとの会話を延々と書いてもしょうがないが、私の今回の旅の一番の収穫は、彼と出会えたことだ。これを仏の導きといわずして何といえばいいだろう。

そういえばもう一人仏がいた。上杉神社の入り口の橋のたもとで、すねを寒風にさらしつつ一人の托鉢僧がお経を上げていた。これがイスラム教などであったらたたき出されるだろう。日本はいい。
思わず多少の布施をした。その僧は、祝福の経を、さらに声高く唱えた。
そのおかげもあったと思うのは、単なる思い込みだろうか。

出発時に戻って  

さて、出発時に戻ろう。

新潟は、この季節には珍しくからりと晴れ渡っていた。その新潟から磐越自動車道に入り、樹氷が朝日に輝いて満開の桜とも見まがう県境を越えた。
会津盆地は霧の中だった。
喜多方を越えると、道の脇に雪が現れた。大峠トンネルをくぐり、道の駅で一服。
そこで本を買った。こういうものは、見つけたときに買っておかないと、後から後悔する。

『世界に誇る名君上杉鷹山公』『誰も書かなかった上杉鷹山の秘密』『上杉鷹山公』『紅花は咲いている』いずれも米沢市で印刷・発行をしているもので、このような本は、地元でしか手に入らない。多くは地元の歴史家・研究者などが書いているから、ローカルな販路しかないのだ。
最近はインターネットで買えるものもあるが、やはり中身を見て買いたい。

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堀に遊ぶ鴨たち

米沢城の本丸が上杉神社だ。内堀の外の駐車場に車を止めて、案
内の地図看板を確認、鴨が泳ぐ堀を右手に見ながらしばらく歩く。

右手、堀の向こうの大手門があったと思われるところに鳥居が立っ
ている。堀を渡る橋の手前に、先出の僧は立っていた。
多少の喜捨をして橋を渡り、鳥居をくぐる。神社の雰囲気は、どこの神社も良い。冷たい空気と神社は良く似合う。
大きすぎず小さすぎず、新しすぎず古すぎず、なんと心の休まる神社だろうと思った。


参拝を済ませて食事に行ったことは前に書いた。

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いよいよ、松ヶ岬神社  

松ヶ岬神社はどこにある?

なんと、さっき通った橋の反対側、堀を右手に見ながら歩いてい
た左手にあったのだ。看板もさっき見ていたのだ。でも、心がそ
こになかったから、見えても見えなかったのだ。

『心そこにあらざれば、見れども見えず』うかつだった。
お詫びしつつ、改めて参拝。



画像の説明松ヶ岬神社に立つ鷹山公の像。クリック


神社境内の売店で、『なせばなる・・・』と『伝国の辞』の色紙を見つけて買った。ほかにも『毘』の旗とか、手ぬぐいなど、謙信・鷹山グッズをいくつか・・・。

富士山現る  

この参拝旅行は、鷹山公も謙信公も喜んでくれたという自信がある。なぜなら、帰り道、菅谷不動尊前まで来たら、行く手、新潟上空に富士山が出現したのだ。鷹山公が『日本のためにがんばってくれよ』といっているような気がした。

私にとって、謙信は義侠心と、その義侠心を貫くための力の象徴。鷹山は当たり前のことを当たり前に行い、また立場とか見栄とか権威とかの私事、私心を廃して公に徹する勇気の象徴。

会社に『毘』の旗を掲げて、それを見るたびに、彼らの心をわが心としたいと思う。  完




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