幻の憲法

徒然なるままに

雫石事故について 〜国軍の名誉とは何か〜 by朝大嫌  

 学術論文のような仰々しいタイトルをつけてしまったが、私の言わんとするところはこれに尽きる。

 掲示板をこの話題で散々汚した責任者として、私なりに、この事件の見方に対する総括を述べておく必要があるだろう。
 管理人様より「おいらのページ」を頂戴した有難い機会に、かねてから気になっていたことも含め、忌憚のない意見を開陳したいと思う。

雫石事故とは何か。おさらいしておこう。  

 昭和46(1971)年7月30日、岩手県雫石町(盛岡市西方)上空で、札幌発東京行き全日空(以下、ANA)58便(ボーイング727−200型)と、編隊訓練中の航空自衛隊F86F戦闘機(宮城県松島基地所属)が空中衝突、ANA機は空中分解して墜落、乗員乗客162名全員が死亡した。
 F86F機の操縦士・市川良美二曹は機を脱出、落下傘降下に成功している。

 ANA機には、静岡県富士市の遺族会で構成される北海道観光団も搭乗していた。肉親を国に捧げ、戦後の困難な時代を経て、漸く北海道へ団体旅行を楽しむことが出来るようになった老父母たち。
 思うだに胸が痛む。心からご冥福をお祈りする。

 ちなみに、ANA機の川西三郎機長も航空自衛隊出身者であった。
 
 私が雫石事故に関心を抱いたのは、正直、それほど古い話ではない。一方的な自衛隊叩きに明け暮れるマスゴミ、国軍の名誉など足蹴にして恥じない連中の醜態に憤懣やるかたない思いでいたある日、偶然出会った2冊の書物が、雫石事故に対する私の関心を呼び起こしたということだ。
 その書物を先に紹介しておこう。

 須藤朔・阪本太朗
 『恐怖の空中接触事故 空の旅は安全か』
           (圭文社 1977年)
 須藤朔(企画・戦史刊行会)
 『ジェット・ルートJ11L
     全日空・自衛隊機空中接触事故の真相』
           (白金書房 昭和50年)

 最初に断っておくが、私は典型的な「文系のバカ」だ。
 数学・物理はチンプンカンプン、従って航空工学、操縦等の専門知識などある筈もない。そんなド素人の私には、著者の駆使する航空機操縦の実体験や専門的所見は難し過ぎ、正直、理解出来ない。
 
 そんな私でも納得し、また共感し得たのは、著者の正義感。
 反軍イデオロギーのためには科学的真理、客観的事実さえ歪曲・黙殺し、恬として恥じることのないマスゴミ共を、絶対許せない。
 天人倶に許さずとは、このことである。まして、安全保障を担う国軍を虚仮にするとは、人非人と呼ぶ以外なかろう。

 イージス艦「あたご」の一件もそうだった。一国の安危を担う軍艦が、ゴミのような漁船に進路を譲るなど、世界の何処にそんな話があり得るだろうか。
 言語道断。
          
 国軍の名誉を守ること。私が身の程知らずの話題に挑む理由は、それのみである。

 先に紹介した2冊の著者・須藤朔氏は、昭和13年海軍兵学校(66期)卒業。八雲(練習艦隊)、摩耶(第2艦隊)乗組み後、14年11月より飛行学生。中型陸上攻撃機(中攻)専修、鹿屋航空隊に所属しマレー沖海戦参加。最終階級は少佐。そして『恐怖の空中接触事故』の共著者である阪本太朗氏は、海軍飛行予備学生(偵察専修)出身である。最終階級は中尉。

 大分前のことだが、須藤氏の話を伺いたいと思って海兵出身の方にお訊ねしたところ、既に故人となられたことを知った。本当に残念なことであった。

やっと本題に入る。  

 須藤・阪本両氏の緻密な研究を「文系のバカ」の私が要約するのは至難の業なのだが、私にも理解出来る重要ポイントだけに絞って縷々、述べることとしよう。

 最初にハッキリさせておくべきことは、「ANA機の方が空自機(F86F戦闘機)より優速だった」ということである。つまり、空自機はANA機(ボーイング727−200)より遅かった、ということなのだ。
 世間一般の常識は「戦闘機は旅客機よりスピードが速い」というものだろう。その常識は一般論として正しいが、雫石事故の場合は断じて「否」である。
 しかも、F86Fは将来の戦闘機乗りが使う練習戦闘機というべき機種であり、事実、ANA機に背後からぶつけられたF86Fを操縦していた市川二曹は、編隊飛行訓練中の訓練生だったのである。

 航空自衛隊の戦闘機が「無謀にも」民間航空路に侵入し、民間機(旅客機)と衝突して空中分解・墜落させ、罪もない民間人を162名も殺した、とマスゴミは狂気のように吠え立て、防衛庁長官(当時)を辞職に追い込んだ。
 科学的検証など皆無であり、一方的な自衛隊叩きはマスゴミの底知れぬ左翼偏向ぶりと反軍思想を如実に示すものだった。
 当時の新聞縮刷版を読むたび、吐き気を催す。

 須藤・阪本両氏の疑問のエッセンスは、こういうことである。
 
 スピードの遅い自衛隊機が、早いANA機の死角(操縦士の見張りの範囲外)から接近して衝突することは物理的にあり得ないが、遅い自衛隊機がどんなに完璧な見張りをしていても、早い飛行機に見張りの死角から接近され、ぶつけられることは十分あり得る。
 つまり、ANA機は、見張りを怠っていたのではないか?

 両氏の疑問は、元操縦士としての体験から紡ぎ出された「科学的直感」であったが、その正しさはその後の調査で証明されることになる。
 
 空中衝突事故現場は、公的機関の報告書とは全く異なり、札幌〜東京線の航空路を遥かに外れた西側、航空自衛隊訓練空域であることが判明したのだった。
 その決め手は、墜落した市川二曹の落下傘開傘位置の測定と、落下傘の落下航跡。

 要するに、ANA機は通常の航空路を大きく西に外れた「違法コース」を飛行した。そして、訓練空域で編隊飛行訓練中の松島基地所属機を後から引っ掛けて墜落させ、自らも空中分解・爆発して墜落した、ということなのだ。

 須藤・阪本両氏は、雫石事故の本質をこう要約している。
 彼ら(F86F編隊の指揮官隈太茂津一尉、および訓練生市川二曹)は、国の命令で編隊飛行訓練中、無謀操縦の民間機にぶつけられた被害者なのだ、と。
 全く同感である。

事故に至る経緯は  

 ANA機はあの日、どういうコースを飛んだのか。千歳空港を離陸した機は、函館NDB(無指向性無線標識 電波灯台のようなもの)から、ジェット・ルートJ11と呼ばれるコースを経て宮城県松島NDBへ直進する予定だった。
 ところが、ANA機は、松島NDBより32キロ南西にある仙台VOR(全方向超短波無線標識)へ直進するコースを選んだのである。

 事故当日は雲ひとつない快晴だったという。
 それゆえか、ANA機は予定コースよりかなり西側を、仙台VORに向かって「近道」するコースを飛んだ。そして、そのコースは航空自衛隊盛岡・横手両訓練空域を横切っていたのである。

 ANA機が、この「近道」(違反ルート)を飛んだことが162名の尊い命を奪った大惨事の原因だった、と須藤・阪本氏は論じる。
 ANA機の川西機長がこのようなコースを飛ぶ決断をしたのは、当時のANAの運航スケジュールが極めてタイトで、パイロットには食事をする時間もない程だったからだと両氏は推定している。事実、当時ANAの運航乗員は操縦席で食事を取るのが普通だったという。
 
 操縦席で機長・副操縦士が同時に食事を取る可能性は少ないだろう。しかし、4つある見張りの目が2つに減ることの意味は小さくないのでは、と素人の私などは思う。

 それはさておき、いかに晴天であろうと、操縦士には見張りを実施する義務がある。我々素人が知っている計器飛行(IFR)というのは、管制官が無条件に安全を保障してくれるという意味では決してない。
 恥ずかしながら、私もこの事実を須藤・阪本両氏の解説で初めて知った。

 管制官が計器飛行中の飛行機の安全を保障してくれるのは、視界の悪いときだけ。つまり雲中からの着陸など、特殊なケースに限られるらしい。
 雫石事故当日のような快晴時には、計器飛行で飛ぶ機にも見張り義務は厳然と存在するし、またそうしなかったら空の安全は守れない。それが世界の航空界の常識なのだ、と両氏は説く。

 ANA機の操縦士が食事中ゆえ見張り義務が疎かになったのではないか、という推定を裏付けるには、彼らの遺体を司法解剖する手続が必要だった。
 ところが、ANA機の川西機長らの遺体は司法解剖されなかった。岩手県警にある筋から圧力がかかったためだ、という話を聞いたことがある。ある筋とは、どうやら朝日新聞社だというのであるが、真偽を確認する手段を私は持たない。

 余談だが、ANAというのは朝日新聞社とは縁の深い会社である。朝日がANAの株主であることは有名だったし、そもそも、戦後ANA(極東航空・日本ヘリコプターが合併して発足)の初代社長を務めた美土路昌一氏は、朝日新聞社航空部長として、あの「神風号」(東京〜ロンドンを96時間で結んだ快挙)プロジェクトに関与した人物。同じ岡山県出身者として、「政界の惑星」と言われた陸軍大将・宇垣一成のブレーンでもあった。後に朝日新聞社社長を務めた。
 ちなみに、美土路氏の後を継いでANA社長となったのは「親中派」財界人として有名な岡崎嘉平太氏であるが、彼も岡山県出身だ。
 ANAが大陸路線(利権)に敏感な理由は、この辺に淵源がある。

 そういう朝日新聞社が、ANAの不祥事になり兼ねない運航乗員の遺体司法解剖を妨害した、という筋書は興味深いし、そう疑われても仕方がない状況証拠はある、ということだろう。
 しかし、断定する根拠はないので、ここではその関連性を指摘するに留めておく。 

 とにかく、仙台VORへの「近道」を飛んだANA機は、本来のルートが通過する盛岡市付近からは相当西寄りの、雫石町上空に差し掛かった。
 雫石と聞いて世間の人々が思い出すのは何だろう。繋温泉、小岩井農場、そして秀麗な姿で聳える岩手山ではないだろうか。

 その雫石町上空で事故は起こった。大音響が盛岡周辺に轟き、地上の人々を驚かせた。それはANA機が音速の壁に当たった音、爆発し空中分解した音だった、と須藤・阪本氏は解説している。

かいつまんで言うと・・・  

 
 実の所、難しい議論はそれほど要らないのかもしれない。「超簡単」に要約してしまうと、次の2点を指摘するだけでANA機の過失は証明出来る。

。腺裡禅,空自機を後から引っ掛けた、つまり追突した。
∋故現場が雫石だった。

 ,蓮∪莉劼慮張り義務を合わせ考えればANA機の前方不注意を暗示しているし、△錬腺裡禅,正規のルートを大きく西に外れていたことの証明だからである。
 一万歩譲って事故現場が航空路上であったとしても、見張り義務を負っていたANA機が何故、空自機を後から引っ掛けるようなヘマをやらかしたのか。
 結局、見張り義務の怠慢、前方不注意という結論しか出てこないのである。

 この点について、須藤・阪本両氏も防衛庁(当時)技官だった航空事故調査のプロ・海法泰治氏も、同じ結論を出している。
 ANA機は市川機(F86F)を視認していなかった、と。

 そうだろう。素人の私でもそう考えざるを得ない。
 ANA機の操縦士のどちらかがF86Fを視認していたら、回避操作をしたに決まっていると両氏は言う。

 考えてもみよう。車の運転中、路地から何か(子供でも犬でもいい)飛び出してきたら、どんな初心者ドライバーでも反射的にブレーキを踏む。空自機を視認、つまり前方に編隊飛行中のF86Fがいることに気付けば、ANA機は回避操作を行ったに決まっている。

 ところが、政府の事故調査報告書は、ANA機の機長は前方に空自機を視認しながら直進し、衝突を疑いつつも体が硬直して回避操作を行わず、大丈夫だろうと思ってそのまま直進し続け、とうとう衝突してしまった、と大真面目に書いているそうだ。
 そうだ、と記したのは、私自身はその報告書を見ていないからである。

 須藤・阪本両氏は、これが事実ならANA機の機長はとんでもない失格パイロットだと述べているが、本当にその通りだ。

 航空機について全く無知な大学教授が新聞の対談で勝手なことを述べているのを読んだ両氏は、「飛行機というものは誰にでも扱えるようなシロモノではない」と反駁する。
 地上の検査や座学(理論)で優秀な成績を収めた者が、操縦桿を握った途端に無能力者のようになり、遂に操縦士になれなかったという例がゴマンとあるらしい。
 結局、操縦士は適性なのだと。

 適性検査を通過したANA機の川西機長以下の運航乗員たちが、空自機に気付きながら、そんな馬鹿げた行動をとることは絶対あり得ない。衝突してしまったのは、空自機を視認していなかったから、つまり見張り義務を十分遂行していなかったからだ、とする両氏の結論には、科学的に見て何の疑問もないだろう。

 自分を含めて162名の人名を預かる民間機の機長が、前方に別の飛行機を見ただけで体が硬直し回避操作を行わなかった(行えなかった)とする事故調査報告書の「結論」と、機長の前方不注意が事故原因だとする須藤・阪本両氏の「推定」と、どちらが正しいか。 
 これはもう、科学と言うより市民的常識の問題。 

 この事故に限らず、歴史の検証は、まず常識を検討対象にすべきだと常々思っている。それが成立しない場合に初めて、非常識を検討の対象にすべきである。
 

目撃者と会社人間  

 
 さて、繰り返すが事故当時は晴天だった。従って、夏の日の午後、雫石上空で起こった航空史上最悪の惨事を目撃した地上の人々は頗る多かった。『恐怖の空中接触事故』158〜159頁には、目撃者の目撃情報一覧表、および目撃状況図(地図)が掲載されている。
 彼らの目撃情報とその撮影写真、ANA機と空自機の残骸分布状況、そして市川二曹の落下傘航跡を分析した結果、衝突地点が空自訓練空域内であることは動かしようのない事実となった。

 目撃者の一人N氏(当時中学生)は、中学校校庭の一塁ベース付近で上空を見上げたら、講堂の三角屋根の上空で飛行機が衝突するのを見たと証言。須藤・阪本両氏は、この証言を一塁ベースと講堂の屋根という固定目標があったゆえ、接触の概略位置を知るのに役立ったと記している。
 
 しかし、ANAの調査団は面と向かって「ウソを言っている」とN氏をなじり、N氏は非常に憤慨したとのことだ。世の中には「情けない大人」というのが確実にいるのだ、と思った瞬間。

 ちなみに、ANA社内では未だに雫石事故を「貰い事故」だと教育しているという。
 会社人間の浅墓さを笑うのは容易いが、これは、我々に深刻な問題を提起していないだろうか。

衝突位置を割り出した理系思考  

 さて、市川二曹の落下傘が着地した地点・時刻を推定する客観的指標は、国鉄(当時)田沢湖線雫石駅の列車到着時刻、駅員および駅長夫人の証言だった。落下傘の着地時刻を割り出す上で、列車ダイヤほど客観的な指標はない。
 須藤・阪本両氏は当時の風向・風速から市川二曹の落下傘航跡を割り出し、いわば逆算によって落下傘の開傘位置を特定した。その結果、落下傘開傘位置は航空自衛隊訓練空域の中だという事実が判明したのである。 

 両氏は、ANA機の残骸分布状況から衝突地点を特定するに際し、陸上自衛隊が装備している榴弾砲の弾道計算を参考資料に用いた。その結果、政府事故調査委員会が採用した大学教授の計算が、悪意からではないにせよ、全く誤りであることも分かっている。軍事の基礎知識なしで軍用機との衝突事故を分析すること自体、無理な話なのだ。

 その意味で、両氏が元操縦士であるという事実には大きな意味があった。操縦は適性プラス、体験なのである。

 先述のように、事故現場が雫石町上空だったという事実こそ、ANA機の過失の証明。 
 詳しいことをお知りになりたい方は、『恐怖の空中接触事故』および『ジェット・ルートJ11L』を是非お読み頂きたい。
 難解な部分があるのは事実だが、著者の言わんとする趣旨は必ず理解出来る筈である。

反軍思想を叩き潰せ  

 
 次に、国軍の名誉とは何か、という仰々しいサブタイトルに少し触れよう。

 問題は簡単である。報道は客観性を失ってはならないということであり、それは何人に対しても差別・区別なく適用されねばならない原則なのだ。

 イージス艦「あたご」の一件は、雫石事故当時と全く変わらぬマスゴミの体質を暴露した。
 常識的に考えて、軍艦(ないしタンカー、貨物船のような大型船)が小さな漁船を回避するため進路を変更することは、絶対あり得ない。現に、千葉県の漁師たちは仲間内で「衝突した奴は運が悪かったのだ」と語っているらしい。

 海上交通の常識から見てどうか、という問題設定をせねばならないマスゴミは、またしても感情的報道に終始した。その背景が左傾イデオロギーと反軍思想であることは、論を俟たない。
 
 昭和46年当時のマスゴミには「憲法によって戦争を放棄した日本の上空に、航空自衛隊の訓練空域があること自体おかしい」という論調さえあった。狂気の沙汰だが、マスゴミほど進歩のない連中はない。
 正に「ペン乞食」である。

 安全保障を担う国軍に敬意を表するという「世界の常識」さえ分からない日本マスゴミ。雫石事故と「あたご」一件ほど、そのことを天下に暴露したケースはない。

 軍隊を聖域にせよと言っているのではない、そうではなくて「機会の平等の原則」を万人に与えよ、予断で物事を判断するな、と言っているのだ。
 民主主義社会の基本ルールではないか。
 
 マスゴミに国軍の名誉という観念があれば、これほどバランスを失した報道が出てくる余地はないのだが、それが出現してしまうところに戦後日本の深刻な病弊がある。
 月並みな結論だが、結局、国民が声を上げてマスゴミを監視するしかあるまい。

個人的体験から思うこと   

 いずれ機会があれば、私自身が雫石事故の現場周辺を歩き、真実を確かめてみたいと思う。

 僭越にも科学的検証について語った「文系のバカ」がこんなことを書いても説得力はないかもしれないが、自分の体験に触れることをお許し願いたい。

 私は、札幌に行かねば成立しない仕事を抱えてきた。これは、現在完了形でも現在進行形でも表記出来る。従って、私はこの十数年間、東京〜札幌線のお世話になり続けている。数え切れないほど両都市を往復した。
 
 私は東京へ戻る時、必ず右の窓側をリクエストするのだが、盛岡周辺で見えるのは岩手山頂であり、盛岡市街は見えない。すなわち、盛岡市街は機の真下なのである。
 逆に、札幌へ向かう便は山形市上空を経て、岩手・秋田県境寄りを飛んでいる。左側の窓から田沢湖、十和田湖、八甲田山が視認出来るから、間違いあるまい。

 そういう個人的体験から言っても、私の頭の中では、東京〜札幌線と雫石とがどうしても結び付きにくいのである。
 科学的根拠には乏しいかもしれない。
 しかし、ANA機は不自然な飛行をせねば、あの日絶対に雫石上空には来れなかった、と私は確信に近い思いを抱いている。
 
 国際線・国内線を問わず、旅客機の操縦士は「自機の飛行地点はどこか」という一点に神経を集中する。離着陸時、緊張の余り彼らの心拍数が上がるのは有名な話だが、彼らは巡航中も決して気を抜いてはならない立場。素人の感想に過ぎないが、ANA機の乗員は余程、注意力散漫状態に陥っていたに違いない。

須藤氏の見た雫石事故裁判               

 須藤朔氏は、『ジェット・ルートJ11L』の最後で、盛岡裁判(盛岡地裁の第一審であろう)を傍聴した際の逸話をいくつか紹介している。
 
 公判当初、「自衛隊そのものを裁け」「自衛隊の体質が問題だ」と叫び法廷をつまみ出された「叛軍団体」がいたようだが、須藤氏が執筆し法廷に持参した小冊子『法と科学を無視した学者たち』の効果があったせいか、やがて姿を見せなくなったとのことだった。
 私もこの小冊子を読みたいが、入手は難しかろう。

 ある時は「多少左翼かぶれした感のある青年」から話を聞きたいとせがまれ、岩手県庁の喫茶室で3時間も話し合ったそうであるが、須藤氏は、若い人と語り合うのは楽しい、日教組の幹部連中などより余程頭が柔軟だ、とも書いておられる。

ANAの隠蔽体質を撃つ   

 それにしても怪しからぬのは、ANAの隠蔽体質である。
 企業防衛という立場からは当然なのだろうが、これはもう隠蔽体質と言うより、言論弾圧と称すべきであろう。

 須藤氏が、ある航空専門誌の原稿依頼で雫石事故に触れ、「ANA機の責任が不問に付されていることはおかしい」と記したところ、編集長から「うちはANAの広告をたくさん貰っているので、あの部分だけは削らせて貰いました、了承してください」と言われたことがあったという。
 航空関係の雑誌は、皆こういう有様らしい。

 もっと酷いのは、須藤氏が「武士の情」で「トップクラスの月刊誌B」と記してあげた文藝春秋だ。
 
 文藝春秋は、須藤氏に「この(雫石)事故について5〜60枚書いて欲しい」と直接、執筆を依頼してきた。須藤氏は、いよいよ雫石事故の真相を全国に発表出来ると「勢い込んで」55枚の原稿を書き上げたのだそうだが、遂に原稿は掲載されることなく、そのままボツにされてしまった。
 
 原因は、須藤氏が広報部に資料提供を求めたことから文春の企画をかぎつけたANAが、営業担当重役を使って、文春に原稿掲載取り止めの圧力をかけたことらしい。
 文春からANAの広告を引き揚げるぞ、とでも言って脅したのだろうか。

 予想されたことだが、ANAの言論弾圧によって雫石事故の真相を発表する機会が闇に葬られたのである。
 ANAがその後、ロッキード事件に連座して逮捕者を出したことは、天刑であったと言えないこともなかろう。

傍聴者を感銘させた盛岡裁判最終弁論  

 盛岡裁判における、被告隈一尉・市川二曹の弁護団長・山崎清博士の「烈火のごとき弁論」は、法廷を感銘させた。
 一部、抜粋する。

 「検察側の求刑思想は人民裁判と軌を一にする」
 「自衛隊機による民間航空路侵犯という筋書は誰が言い出したものか」
 「たとえ長機(註:隊長機)が山へ激突するとも列機はこれにつづけとは自衛隊精神の真髄である」
 「全日空機が無過失とは何というかたよった判定か」
 「大型機に回避の義務がないとは、いったい何事か」
 
 「自衛隊は発足以来23年、日陰者のように扱われながらも、ひたすら祖国のため営々として任務に尽くしてきた」
 「検察官は同じ公務員でありながら、この弱い立場にある自衛官に対し、左翼偏向の徒輩となって一方的に自衛隊員を責めるとは何事か」

 須藤氏によれば、隈一尉の父上は、時折目頭を押さえてこの烈々たる弁論に聞き入っていた、とのことである。

 何とも異様なのは、弁護士がANA機の責任に触れるたびに、川西機長未亡人と客室乗務員(スチュワーデス 今のキャビン・アテンダント)の母親が、顔を見合わせてクスクス笑いをしていたことだ。
 
 須藤氏は、これを「なんとも理解しがたい」情景だったと記しているが、何か裏取引でもあったのだろうか。それとも、単に人格が破綻した輩だったのか。私も全く理解不能である。

最後に、正義の怒りを  

 近代法治国家において私刑(リンチ)は許されない。処罰は法に従うのが基本ルールであり、だからこそ「処断」が合法とされるのである。

 ところが、雫石事故を巡る報道はリンチそのものであり、科学的分析も客観性もかなぐり捨てた狂気そのものだった、と断じて差し支えあるまい。この構図は、後のロッキード事件報道における、田中角栄元総理に対する常軌を逸したリンチ報道で再現されることとなる。
 秦野章元法相の言う通り「マスコ(ゴ)ミはリンチもする」のだ。
 
 今日(平成20年12月24日)、我が家の近所の書店で立ち読みした雑誌『撃論ムック』に、佐藤守氏(元航空自衛隊空将・軍事評論家)の一文があった。
 まるで、私の駄文に合わせるように雫石事故のことを語っておられることに気付き、思わず該当部分を熟読してしまう。

 裁判中、ANA側は衝突直前まで乗客が撮影していたという8ミリフィルムを、物証として提出したらしい。ところがANAにとって都合の悪いことに、フィルムを解析した結果、ANA機が航空自衛隊の訓練空域内を飛行していることが証明されてしまったのである! 
 つまり、須藤・阪本両氏の分析は完璧に正しかったのだ。

 慌てふためいたANAは、自ら「物証」を放棄してしまったそうである。

 編隊指揮官・隈太茂津元一尉に対しては、昭和58年9月22日、最高裁判所が禁錮3年、執行猶予3年の判決を言い渡し刑が確定した。訓練生・市川良美元二曹は2審で無罪となった。

 2人の心中をあれこれ忖度するのは不謹慎かもしれない。
 しかし、国防に責任を負う2人が、162名の生命に対して良心の呵責を感じていない筈がなかろう。
 何度でも言うが、ろくな勉強もせずに憶測・独断・偏見によって出鱈目記事を書き散らし、己の言論に責任一つとろうとしないマスゴミのあり方が、雫石事故を真の悲劇にしたのだ、と私は思う。

 私の駄文も、この辺で終わりにすべきだろう。最後に、須藤・阪本両氏が『恐怖の空中接触事故』の序文、あとがきに記した文章を引用して、結びとしたい。

 「この記述の中には、政府事故調査委員、官僚、国会議員などについて、氏名を明らかにし名誉毀損とも受け取られかねないような痛烈な批判を加えた箇所がある。社会的に信用を失墜して不利益をこうむる人がでる可能性のあるこのような一見あくのつよい筆法は、できるだけ避けるのが常識的であろう。」
 
 「だが、世論は余りにも真実とかけはなれている。(中略)本書で批判した人々は、どう考えてみても『被害者』の立場にある2人の自衛隊パイロットを、無知からでなかったとしたら不純な動機から『殺人者』に仕立てあげようとした、卑劣な輩としか考えられない。」

 「仮に本書によって不利益をこうむる者がいたとしても、それはその人自身が招いたものであり、ここ数年間にわたって不当な非難と処遇に耐えてきた2人の自衛官の苦痛や不利益を考えれば、甘受すべきではなかろうか。」

 「この成果(註:調査の結果)は、われわれ筆者に満足感をもたらしただけでなく、十字架を背に荊の道を歩かされている2人の自衛隊パイロットの無実を証する天恵である。また、無知からでなかったとしたら、責任回避、保身、経済的利益、あるいはイデオロギイといった不純な目的から、被害者を『殺人者』に仕立てあげようとたくらんだ罪ふかい人々への天刑であり、さらにまた今後の航空事故調査および裁判のありかたにたいする天啓のように思われる。」
           (完)

追伸 USエア機事故の教えるもの  

 
 平成21年1月15日、ニューヨーク・ラガーディア空港発シャーロット行きUSエア機(エアバスA320型)が、離陸直後に両エンジン停止、ハドソン川に不時着水する事故があった。  
 第一報はベッドの中で聞いた。久々の大事故か、死傷者は、と様々な思いが頭をよぎったが、続報を聞き驚愕。
 死傷者なし、全員救助という。

 事故の経緯は報道に任せ詳述しないが、サレンバーガー機長の恐るべき技量と判断力は、正に戦闘機乗りの真骨頂。
 ジャンボを1万時間操縦したものより、戦闘機に3千時間の乗った者の方が飛行経験は上だ、と須藤・阪本両氏は記しているが、その通りなのかもしれない。

 雫石事故当時のB727−200型機に比して格段に性能が向上し、ハイテクの塊と言えるエアバスA320型機だが、バードストライクの脅威は技術の進歩とは関係ない。
 それにしてもだ。双発機のエンジンが両方とも推力を失うなど、想定外の事態ではないにしても、限りなくあり得ない事態に違いあるまい。

 パイロットの真価は非常事態において問われる。
 エンジンが火を噴いても動じない胆力がなくてはパイロットなど務まらない。須藤・阪本両氏の「青白いインテリタイプの人間はパイロットになれない」という言葉を、図らずもUSエア機事故が証明して見せた。
 
 ANA機の川西機長は、絶対にF86を視認していなかった。今回の事故を見て、改めてそう確信した。
 非常事態に遭遇すれば無意識のうちに体が反応するのがプロ。逆に言えば、身体で覚えていなければ咄嗟の判断など不可能なのである。

 机上の空論で航空機事故を語る学者バカが多過ぎる日本の現状は、真に寒心に耐えない。

  
 
 
 
 

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