幻の憲法

保守としての体をなしていなかった戦後日本の保守論壇

保守としての体をなしていなかった戦後日本の保守論壇

by聯合艦隊

はじめに  

今、日本の保守論壇がおかしい。日本軍が南京を攻略した際に、中共の言うような十万単位の虐殺は無かったが、虐殺自体は存在した(南京「小」虐殺)と平然と嘯く保守。二千年にも及ぶ我が国の皇統の断絶に繋がる「女系女性天皇」を容認する保守。遂には、我が国の歴史、誇り、文化を蹂躙した東京裁判を礼賛し、擁護する保守まで現れたのだ。一体、日本の保守論壇はどうなってしまったのか。

実は私は日本の保守論壇の言動については前々から疑問に思っていた。それは先の大戦、即ち大東亜戦争で日本は「戦争犯罪」を起こしたと平然と言う保守がいるのである。曰く、「戦争犯罪」を起こさなかった国家は皆無である、だから日本も当然したと。成る程、それは正しい。しかし、日本が起こしたとされる「戦争犯罪」の殆どが未だ科学的に検証されていないのである。先ず、すべきなのは「戦争犯罪」の科学的検証である。ところが、保守は検証も行わずに、日本は「戦争犯罪」をしたと言っているのである。その癖、南京や慰安婦に限っては、幾ら何でも大袈裟だというわけで検証する。では、それ以外の「戦争犯罪」は検証しなくても良いのか?否である。実際、南京や慰安婦以外の日本が犯したとされる「蛮行」の殆どが連合国側のプロパガンダに満ちたものだったことが次々と明らかにされている。問題なのは保守論壇が長年の間、検証を怠ってきたことである。

逆に、保守論壇は日本人が受けた被害を国民に訴えてきたのか。先の大戦の前後を通して、多くの日本人が大陸や南の島で略奪、虐殺、強姦と言った受難を受けてきた。これを集大成したのが、激論ムックから出版された『教科書が教えない日本被害史』だが、この種の本が出ること自体、保守が日本人の被害史を国民に訴えるのを怠ってきた何よりの証拠である。事実、私はこの本を読んで、初めて知った日本人の受難があったのである。否、保守は日本人が受けた被害の言及をしていることにはしているが、それはアメリカやソ連が犯したものに限られ、支那人や朝鮮人が犯した犯罪については殆ど言及していないのだ。例えば、二百人の日本人居留民が虐殺された「通州事件」について言及しない保守が多数存在するのも事実である。

これ等のことから言えることは、日本の保守の脳内には、東京裁判がでっち上げた「日本悪しかれ史観」、即ち「自虐史観」が酷く浸透していることである。

保守の「自虐傾向」に関しては、去年の田母神論文を巡る問題で、同論文に拒否感を示した一部の保守がいたことからも伺える。何故、日本の保守はかくも変質してしまったのか。私は長い間、疑問に思っていたが、渡部昇一等の本を読んでいるうちに答えが分かってきたのである。

双子の兄弟だった保守と左翼  

結論から先に言えば、日本の保守論壇は元から保守としての体をなしていなかったのである。

支那国民党及び同共産党はソ連共産党を母胎とする双子の兄弟だったことは良く知られている。それと同じく、我が国の保守も左翼も東京裁判及びコミンテルンを母胎とする双子の兄弟だったのである。

これを聞いて驚かれる方が多いかもしれない。また、保守からの反論もあるだろう。ところが、東京裁判及びコミンテルンは曲者で、形を変えて日本人の脳の中に浸透し、それが保守にも浸透しているのだ。それを順に論じていこうと思う。

保守の「大内兵衛」林健太郎の大罪。  

渡部昇一の著作・論文を読んでみると或る人物の名が頻繁に目に付く。林健太郎と猪木正道である。渡部によれば、林、猪木こそが保守の歴史観をおかしくした張本人だというのである。

先ずは林健太郎について説明する。林は戦後、竹山道雄、高坂正顕とともに「日本文化フォーラム」を形成し、左翼や進歩的文化人からは「タカ派」と呼ばれ、東大総長に選ばれた時は左派陣営から非難の嵐が出たほどだった。そして世間を騒がせた東大紛争の際には全共闘によって数日間監禁され、その脅しに屈しなかったことは余りにも有名である。保守は林の姿勢に感動し、保守の神と祭り上げた。林も保守論壇の重鎮として君臨して、その言動は保守に多大な影響を与えた。

では、林は保守として相応しい人物であったか。否である。渡部が指摘する通り、林は、本来は共産主義者であり、後に転向した人物だったからである。例え、転向したとしても、若い頃に染み付いた共産主義者の思想は生涯離れないものである。それは林の歴史観を見ても一目瞭然である。林は満洲・支那事変は日本の侵略戦争であると唱えていた。

これが如何に史実に反するかは一目瞭然である。満洲事変に関しては、満洲は日露戦争以来、日本の権益が置かれた場所であり、それを支那の匪賊から守るのは日本政府の義務であった。しかも、満洲は、本来は満洲人の故地であり、支那には所有する資格は当然なく、満洲正統の後継者たる溥儀は故郷での復活を夢見ていた。これ等の背景が重なり合って満洲事変が起きたのである。支那事変はもっと複雑である。支那では、コミンテルンによる極東赤化の願望、蒋介石の野心及びそれに便乗したドイツ軍顧問団の存在等が一つとなり、通州事変を始めとする日本人へのテロを引き起こし、日本を戦争に引き摺り込んだのである。従って、支那事変に関しては田母神論文が指摘する通り、日本は寧ろ被害者なのだ。

林はこれ等の歴史的事実を隠滅して、日本は支那に対して侵略戦争を行ったという歴史偽造を平然と行った。林は保守の重鎮として君臨していたから、その弊害は凄まじいものである。

私は林健太郎を保守の「大内兵衛」と見做している。大内兵衛は、東大を始めとする各大学に君臨し、「大内山脈」とも言えるほどの権力を築き上げて言論界を牛耳り、「第二次世界大戦は日本が張本人」と歴史偽造を行った左翼の重鎮である。大内の悪行に関しては、谷沢栄一著『悪魔の思想』に詳しい。林も、大内同様に東大を始めとする各大学に君臨し、「林山脈」とも言えるほどの権力を築き上げて言論界を牛耳り、そして歴史歪曲を平然と行ったのである。

どちらが悪質で弊害が酷いかと言えば、林の方に決まっている。大内は根っからの左翼であり、終世左翼として世を送ったから、歴史を偽造しても違和感はない。他方、林は、中味が真っ赤かの左翼でありながら、保守の仮面を被り、保守の重鎮として君臨し、歴史偽造を平然と行い、日本の良識を守る保守をおかしくしたのである。事実、「大東亜戦争は自衛の戦争だが、支那事変は侵略戦争である」と言う間違った歴史認識を持つ保守が多いのは林の負の遺産である。その結果、支那に対して卑屈な態度を取る保守が増加したのである。

現在、皇太子殿下への「御忠告」で世間を騒がしている西尾幹二や東京裁判を礼賛し擁護する中川八洋が「天皇制」なる共産主義の造語を平然と使っているのも、両人が林の心棒者であるのと無関係ではないのだ。事実、林・中川の支那事変に対する歴史認識は林のそれと一緒である。

西尾は、林が平成16年に死んだ時に、その葬儀を左翼が執り行ったことを嘆いていた。そんなに嘆くことなのか、アカはアカに還れである。寧ろ、こんな俗物を保守の重鎮として持ち上げるところに、日本の保守の悲劇がある。

猪木正道と赤い将校たち  

渡部昇一が、林健太郎とともに非難の対象にしているのが猪木正道である。猪木も林と同じく、元共産主義者で、保守の重鎮として君臨し、日本は支那を侵略したとの歴史歪曲を平然と行った。しかも、防衛大学の校長として君臨したのである。防衛大学と言えば、戦前の陸海軍士官学校若しくは大学に相当する国を守るべき将官を育成する学校である。その国を守る将官に猪木は校長として「自虐史観」を吹き込んだのである。

以前、防衛省の汚職が問題となっていたが、それよりも自衛隊の「赤化」の方が遥かに問題である。戦前の帝国陸海軍には共産主義思想が蔓延しており、五・一五事件や二・二六事件の青年将校達が企図していたのが天皇陛下の許での共産主義国家の樹立であった。自衛隊に共産主義が蔓延しないという保証は何処にもないのだ。

果たして、防衛大学校の卒業生には変な歴史認識を持つ者が多い。その代表的なのが、南京「中」虐殺のデマゴーグを捲き散らかす原剛。近代に於ける軍の定義を知らないとは防衛大で何を学んできたのかと突っ込みたくなる。今から十年位前に大学生の学力低下が問題となった際に『分数が出来ない大学生』と言う本が出て話題になったが、この場合は「軍の定義が分からない防衛大学生」である。それ以外にも、グッドウィルを破産させた会長は防衛大卒業生であった。何れも、猪木が防衛大のカリキュラムを揉みくちゃにした結果、生み出された出来の悪い「作品」である。

そして、現在非難の対象となっている現防衛大学校長・五百旗頭真は猪木の弟子なのである(と言っても五百旗頭は、猪木が京大時代の弟子だが)。と言うよりも、五百旗頭の歴史認識の大部分は猪木からの影響としたほうが良い。この師にしてこの弟子ありとはこのことである。

東京裁判史観の申し子だった司馬史観  

林、猪木とともに保守に悪影響を与えたのが司馬遼太郎である。保守から神の如く崇められてきた司馬の歴史観については、以前から非難の対象となっていた(昭和史のみ断罪する姿勢、乃木希典大将への人格攻撃とも言える誹謗中傷、軍事知識の欠如等)。だが、最近になって福井雄三がその著書『司馬遼太郎と東京裁判-司馬歴史に潜む「あるイデオロギー」-』で説いたように、司馬史観は東京裁判の申し子以外何物でもなかったのである。

福井は司馬の特徴として権威への憎悪、特に軍への憎悪を挙げている。この権威への憎悪が重要である。何故なら、東京裁判を主導したGHQは、日本を普通の国に戻れなくするために政府と国民を分離させんがために、国民に反国家、反権力を吹き込んだのである(高山正之)。折から軍への憎悪で満ち溢れていた司馬の頭に、GHQの工作がインプットされて司馬史観が誕生したのだ。その司馬史観を保守が信じれば信じるほど、保守に東京裁判史観が浸透していったのである。

その代表的な人物が石原慎太郎である。世界各国から非難を受けた北京オリンピック開会式への出席や皇太子殿下への無礼な発言で保守から非難を浴びている石原だが、私はその歴史観(南京「小」虐殺)から以前から胡散臭いと睨んでいた。そして、産経新聞に掲載されている石原のコラム「日本よ!」の10月号を読んで、石原も所詮は戦後レジームの申し子だと確信した。

その「日本よ!」に描かれていたのが東条英機大将への憎悪で満ち溢れていたが、それは司馬の軍への憎悪と瓜二つである。それもその筈で、石原は狂信的な司馬の信徒、司馬原理主義者だからである。このコラムでもう一つ注目すべきことは、辻政信への憎悪である。辻は、司馬が晩年に取り組み未完に終わったノモンハン事件を引き起こし、惨敗を招いた張本人というのが定説とされてきた。従来の定説に対して、近年の資料開示の結果、被害はソ連側の方が多く、しかも仕掛けたのはソ連側であったことが明らかになったのである。寧ろ、辻が後世に指摘する通りに、徹底的に叩いておかなければならなかったのである。これ等を集成したのが小田洋太郎・田端元『ノモンハン事件の真相と戦果』であり、同書は福井も度々参考にしている好著である。こう言った好著が出ているにも係らず、石原は「辻はノモンハン事件を引き起こして惨敗を招いた」と言う歴史認識しか持っていないのだ。石原のみならず、「ノモンハン事件は辻政信が独断で引き起こした」と言う旧態思考から抜け出ることが出来ないのも、司馬のマインドコントロール下に置かれているからである。そして司馬史観を通じて東京裁判史観にドップリと浸っているのである。

日頃、アメリカを批判している石原も知らないところでアメリカナイズされていたのである。釈迦の手の上で踊る孫悟空ならぬ、マッカーサーの手の上で踊る石原慎太郎である。

尚、福井が一つ見落としている部分がある。石原の親支那及び親朝鮮的姿勢である(これは林、猪木にも同じ)。これが保守の支那・朝鮮に対する視線を非常に歪めたものになっているのである

欺瞞に満ちていた戦後の保守論壇  

私に言わせれば、保守と言っても良いのは渡部昇一唯一人であり、残りは全て全滅と言っても良い。日本の保守論壇は林、猪木、司馬のマインドコントロール下に置かれ、この3人を介して東京裁判史観及びコミンテルンに毒されているのである。しかも、気付いていないから尚更恐ろしい。

保守の「赤化」の要因に関しては上記の3人のみに帰せられものではない。学生紛争の際に左翼内部で殺し合いが起こり、敗れた勢力が次々と保守に流れてきたのである。自称「真正保守」西部邁がその代表である。社会党や公明党を抱き込んだ自民党が本来の姿を失ったのと同じく、共産主義者を多数抱き込んだ日本の保守も保守本来の姿を失ったのである。欺瞞に満ちていたのは保守政治だけではなかった、保守その物が欺瞞に満ちていたのである。

親米保守も、反米保守も、司馬原理主義者も、自称「真正保守」も、英米系保守も我こそは真の保守だと互いに罵声を浴びせているが、東京裁判及びコミンテルンの血を引くという点では彼等は皆兄弟、同じ穴の狢なのだ。

保守の欺瞞が噴き出した安倍内閣  

これ等、戦後保守論壇の欺瞞性が一気に噴き出したのが実は安倍内閣だったのである。安倍内閣が早期に潰れた原因については、マスコミの誹謗中傷、若しくは、安倍前総理自身の「変節」等が指摘されている。だが、安倍内閣が潰れた真の原因は、それを支えるべき筈の保守が保守としての体をなしていなかったからではないのか。

現に安倍内閣時代は、国内外の反日勢力が南京虐殺や慰安婦強制連行に代表されるような日本を貶めるためのプロパガンダを仕掛けてきたが、これに対して変なことを言う保守が続出した。それが冒頭に挙げた南京「小」虐殺である。

南京「小」虐殺と言うのは、市民への虐殺は無かったが、捕虜への虐殺はあったとする見解で、一部の保守の間では定説になっているのである。特に、北村稔は外国人記者の前で、捕虜への不当な殺害はあったが、市民への虐殺はなかったと説き、櫻井よしこは北村の言説を称賛していた。この北村の言説には問題が多過ぎる。第一に、処断された国民党軍兵士は捕虜なのか、それ以上に問題なのは、果たして南京戦の国民党軍兵士は軍隊と見做される存在か否かである。捕虜になる資格があるのは飽くまでも軍隊だからである。結論から言えば、南京戦の国民党軍兵士は軍隊と言える存在でなかった(近代に於ける軍の定義は、制服を着ているだけはなく、指揮官の許に置かれることも必要条件の一つである。この時、南京を守備していた唐生智は後任を託さず逃げ出した。指揮官の許に置かれていない軍隊は、最早、軍隊ではない。指揮官不在の時点で国民党軍兵士の運命は決まっていたのだ)。それ故、処刑は全くの合法である。しかし、北村はこの部分を切り捨て、捕虜を不当に虐殺したと外国人記者の前で虚言をひたすら垂れ流していた。北村の捕虜の定義をはぐらかす姿勢は、安倍前総理の慰安婦強制連行について「狭義の連行」と「広義の連行」をはぐらかす姿勢と瓜二つである。

保守の欺瞞性については、何も南京「小」虐殺に限ったことではない。安倍内閣の時には憲法「改正」論議が盛んになったが、渡部昇一が指摘する通り、憲法は改正してはならない。日本国憲法は占領下で作られたものだが、この行為は明らかに国際法違反である。従って、憲法は「改正」ではなく、「無効」にしなければならないのだが、安倍内閣主導の憲法を巡る問題ではこの観点がスッポリ抜け落ちていた。

また、安倍内閣誕生以前の皇位継承を巡る問題で、中川八洋は皇室を巡る保守の「無知」について糾弾していた。南京、憲法、皇室、私はこれを戦後日本の保守の三大堕落だと見做している。その堕落が見事に現れたのが安倍内閣だったというわけである。

以上のことから、安倍内閣が早期に崩壊したのも寧ろ当然と言える。どんなに立派な豪邸でも土台が脆ければ即お陀仏になるのと同じく、安倍内閣が幾ら戦後レジームからの脱却を訴えても、それを支えるべき保守が戦後レジームの申し子以外何物でもなければどうしようもないのである。奇しくも、安倍内閣が崩壊した平成19年を意味する一文字は「偽」であった。

おわりに  

今年は元号が昭和から平成に改まって調度20年を迎える。この年は、天安門事件、ベルリンの壁崩壊、東欧諸国の政変が示したように共産主義が幻想であったことが明白になった年でもあった。現に、欧米諸国は、共産主義は幻想と総括し、表面上は駆逐された。一方の、日本では共産主義が生き延び、それどころか昨今では蟹工船ブームになっているのである。その原因については、日本の保守が共産主義の総括を怠ったからだと言われているが、元から総括出来る状態ではなかった。日本の保守は知らない間に共産主義に毒されていたからである。

顧みれば、一時は共産主義に潰されかけた米英が復活を遂げたのも、レーガン、サッチャーのリーダーシップもさることながら、それぞれの国の保守がしっかりとしていたからであった。例え共産主義の汚染が酷くても、保守さえしっかりとしていれば、国家は正常になるのだ。だが、我が国の保守は保守とは言えるものではなく、寧ろ正反対に位置する存在にまで堕ちてしまった。人権擁護法案、在日外国人への選挙権付与、国籍法改悪等、現在の日本では20年前とは全く逆の事態が進行しているのも或る意味当然の帰結と言える。

とは言え、嘆いてばかりはいられない。このままでは日本が滅びてしまうからだ。日本を救うためには先ずは保守を再生しなければならない。保守の再生のために最初にすべきことは何か。それは日本の保守論壇が、自らが保守としての体をなしていなかったことを認識することである。それなくしては保守の、否、日本の再生は始まらないのだ。

powered by Quick Homepage Maker 3.65
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional